「その人らしい生活のために」-看護師という仕事 vol.1
「ドクターが病気や怪我と向き合う時、そのそばで患者さんに向き合うのが仕事」
小夜(さよ・仮名)さんは、がん診療に特化した拠点病院で長年、看護師として働いている女性です。
専門性の高い病院で命と向き合う仕事は、日々緊張の連続ですが
「患者さん一人ひとりの抱える課題や生活での悩み、一人ひとりの『思い』にじっくり向き合った支援をしていきたい」と話します。
「病気でなく、その人と向き合う看護をする」という使命感を持って、「その人らしい生活に近づけるために努力を重ねたい」と言う小夜さんに、看護師という仕事への想いを聞いてみました。
1 何気ないきっかけで進んだ看護師への道
すらっと長身の小夜さん。
「小さい頃から、体が丈夫な方ではなかったんですよ」と言います。
小夜さん自身も、入院や手術なども何度か経験し、学校も休みがちでした。「看護師」という仕事を選んだのも、そんなご自身の経験からなのかと聴いてみると、そうではないと笑います。
高校3年の夏、担任から「お前、進路、どうすんねん」と聴かれて、その時に初めて進路について考えました。
「学校も休みがちだったし、嫌なことはできるだけ避けてたから、その時になってようやく『どうしよう。進路決めなアカン』って思ったんです。高3の夏ですよ?のんきでしょ?」
今まで、想像することもなかった自分の将来について考え始めた時、友人がふと「看護婦(※1)でも、いいんちゃう?小夜は、手術とか入院とかしてたやん」と口にしたことで、看護学校に行くことを決めました。(※2)
「本当に『あ、その手があったか』と思いついたような。そんな感じなんです」と小夜さん。
そこから、看護学校受験について調べていくのですが、受験科目には、理数系の勉強が必要だと知り、大慌て。それまで進路について考えていなかった上に、自分が興味のあるものをと考えて選択していた授業は、調理や保育など。理数系の授業など一切受けていなかったからです。
困った小夜さんは一大決心をします。数学、物理、生物の先生のところへ行き、
「先生、私、看護学校に行くって決めました。でも、全然勉強してないから、放課後、教えて下さい」と、頼んだのでした。
「それまで先生の言うことなんて、『あー、はいはい』という態度で聞いてて。初めて、先生に頭を下げました」と、その時は必死だったと小夜さんは、振り返ります。
そこからは、自分で参考書や問題集を買い、通信教材の問題を何度も繰り返し解く毎日。わからないところがあると、放課後、先生に教えてもらいに行くという、ほぼ自主勉強を続けました。
「もう、それしかなかった。中学も高校も、入院や手術で休みがちだったし、塾にも通ってなかったら」という小夜さん。
努力の甲斐あって見事、関西地方の看護学校に合格。しかもその成績は、受験生の中でトップ。
「私、びっくりして。自分の中に、こんなに諦めない自分がいるんやって。自分がこれ!と思ったものは、こんなに頑張るんやなぁと思いました」
きっかけは、友人からの何気ない一言で、あまり深くは考えないまま、看護師への道を歩き始めた小夜さん。「立派な看護師になる!」という大きな目標こそありませんでしたが、努力の結果、難しいと言われていた看護学校への入学を果たしたことは、今まで、嫌なことはできるだけ避けてきたという小夜さんに、小さな自信を持たせてくれました。
■■「必死だったからできた」と話す、小夜さん。
特別、高い目標ができたからというわけでもありませんでしたが、看護学校に行ってからも夢中で毎日過ごし、無事に看護師となります。看護師としてスタートすることで、だんだんと見えてきたものについて、話が広がっていきました。
<次回へ続きます>
(なお、小夜さんは今も、がんの専門性の高い拠点病院で働いているため、お名前は仮名としています)
※1 小夜さんが高校生のころは、「看護婦」という名称だったため、そのまま使用。
※2 現在は、大学等に看護の学部がありますが、当時、看護婦(看護師)になるためには、看護学校という専門の学校に3年間通わなければなりませんでした。
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