2015-02-12

「その人らしい生活のために」-看護師という仕事 vol.3

患者さんが治療を続けていくうちに「治療への不安」から「生活への不安」に気持ちが変化していくことに気付いた小夜さん。目に見える病気や症状だけでなく、目には見えない「背景」を理解しよう心がけていました。
そんな彼女にある出来事が起こりました。
幼いころから体が弱かった小夜さんを心身ともに支えてくれていた母親に、がんが見つかったのです。
日ごろから、多くのがん患者と接する小夜さんにとって、自分の親ががんを患ったことは、どうだったのでしょう。

看護師

娘としての母の看護

手術を受けた母親を、小夜さんは自宅で介護することにします。
「看護師やから大丈夫って、私も思ってたけど、やっぱり、違うね」と小夜さん。

「身内となると、素人になっちゃう。感情移入というか。母親が死んでいくということを、看護師としては頭では理解している。でも、それを受け入れるということができなかった。大事な母親が、ある日いなくなるってことが、想像できなかったんよね」

不安な気持ちを抱えていたある日のこと。
知り合いから【葉っぱのフレディ(レオ・バスカーリー著】という絵本を贈られました。フレディという名前の葉っぱが、その役割を終えて冬の土の上に落ち、温かい土の中で、今度は木を育てる力になるという有名な物語です。

葉っぱのフレディ本

「それを読んだときに、ああ、お母さんもきっと、そういう時期がきたら、今の苦痛から解放されて楽になれるんだって思って」と小夜さん。
それを機に、ゆっくりと母親の病気のことを受け入れられたと話します。

日々、がんの患者と向き合っている看護師であっても、やはり身内が病に倒れる現実を受け入れるのは、容易なことではありませんでした。知識としてわかっているだけに、つらいこともあったと言います。

亡くなる一ヶ月前には、母親の体力も落ち、点滴も体に充分な栄養とはならなくなり、悪い影響を及ぼし始めたことが目に見えてわかるようになりました。そこで、通院していた病院と相談し、点滴をやめることにしました。

「その時、まだ家に点滴が2本ぐらい余ってました。看護師としては、点滴をやめることが理解できてる。でも、点滴をしなければ水分も摂れない母親、食べることもできない母親がいる。だけど、点滴は寿命を縮めてしまうかもしれないから、それをしない。点滴も技術もあるけど、それをしない自分をね・・・、なんというか、あの時は辛かったな」

残っていた点滴を、自分の目につかないようにと押入れの奥に隠しながらも、しんどそうにしている母親を目の前に、何をすることもできない自分を罪人のように感じたといいます。

「結果的には、自分はまだ慣れてなかったってこと。自分の中の看護師の部分が強ければ、冷静に点滴をしないことを選択できたんだろうなって。あの時は、目の前の自分の母親を失いたくない思いが強くて。点滴をすることが体に負担をかけていることをわかっていても、点滴をしたら母親は生きていてくれるんじゃないかって考えるというか・・・。看護師の自分と、そうじゃない自分が葛藤してた」と振り返ります。

<次回へ続きます>
(なお、小夜さんは今もがんの専門性の高い拠点病院で働いているため、お名前は仮名としています)
※写真はイメージです。

今だけ企画

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