今こそ気を付けたい便利な言葉
2020年、多くの人にとって「あの時は」と記憶に残る年になりそうです。
本来は、東京オリンピック・パラリンピックで世界が沸いたのでしょう。けれど年明けから、新型コロナウィルスの感染拡大によって、世界はそれどころではなくなりました。
今もまだその不安は続いていますし、報道やネットを見ると大変な思いをされている方も多くいらっしゃいます。
今回は、大きな出来事と言葉の関係について考えてみます。
☆「2」の項目、ハナシがちょっと脱線しています。
m(__)m
1、「コロナ禍」ということば
大きな出来事があると、関連してさまざまな言葉を耳にするようになります。
2011年の東日本大震災では「計画停電」なんて言葉をよく聞きました。
2020年は、まだ折り返してちょっと。「コロナ禍」という言葉を聞かない日がありません。
コロナ禍の「禍」は、災いを意味する言葉。
文字を見ればわかりますが、話し言葉で聞くとちょっとわかりづらい…。
今でこそ「あぁ、新型コロナ感染症によって…って意味だな」とわかりますが、私は最初「コロナ化?」と、恥ずかしい勘違いをしてしまいました。
コロナ禍は、新型コロナウィルスの感染拡大によって起こるできごとや影響を、パンと一言で表せる言葉。
テレビニュースのテロップや新聞紙面で見る機会が増え、今では、パッと見てイメージを共有できるようになりました。
例えば…。
(例)「コロナ禍が変えた仕組みとは」
(例)「コロナ禍で○○が普及」
このように、さくっと書かれたものを、見たことのある人は多いでしょう。
そう。
タイトルや見出しに使いやすい便利な言葉なんです。上の例を「コロナ禍」の言葉を使わずに表現してみると、わかりやすいかな。
(例)「新型コロナウィルスの感染拡大の影響が変えた仕組みとは」
(例)「新型コロナウィルスの感染の拡大により、○○が普及」
うーん、ちょっと長い。
「コロナ禍」は、文字数やスペースに限りがある時に使うと、サッと短く一言でイメージを伝えられます。
「○○禍」という言葉は、これまでにもありました。
「コロナ禍」は、多くの人が関心を持っている事柄を表す言葉だったこともあり、広がっていったのかなと思います。
2、「事故った」の始まり
大きな出来事があると、関連する言葉を耳にするようになる、といいました。
逆に言うと、毎年選ばれる「流行語」を見ると、世相が浮かんできますよね。パッと流行っただけのものもあれば、ずっと使われている言葉もあります。
ちょっと前の流行語に「神ってる」という言葉があったのを覚えていますか?(野球をあまり観ない私は、流行語大賞で初めて知った言葉でしたが)
「名詞」+「~る」「~てる」
このように短くしてつくる新しい言葉、多いような気がしませんか?
「タピる」もそうですよね。
タピオカドリンクを飲むとか、タピオカを食べるという意味です。
「名詞」+「~る(た)」で短くした新しい言葉は、いつごろから増えたのでしょう。
私の記憶でのハナシなのですが、
(写真ACから)
「事故った」という言葉が、始まりなんじゃないかなと思います。
(あくまでも、私の中の記憶で…なので、ゴメンナサイ)
もう30年ぐらい前のことでしょうか。
いや、もっと前?
当時「たのきんトリオ」としても人気のあった田原俊彦さんが、ぽろっと口にした言葉が「事故った」です。
映画ハイティーンブギの撮影時に言い間違えて、それがNGでなく採用された、と当時の雑誌インタビューで、ご本人が話していました。
ハイティーンブギは、高校生の女の子と暴走族のリーダーの男の子の物語。田原俊彦さんが演じたのは、主人公(近藤真彦さん)の友人だったかライバル役だったかなぁ。同じく暴走族のメンバー役でした。
「その登場人物なら『あいつが事故を起こした』という意味で『事故った』と言いそうだ」というのが、採用された理由。
もしも、高校の校長先生役を吉永小百合さんが演じていたとしたら(私の空想ですよ、空想!)
「あの子が事故を起こしたの?」というセリフを「事故った?」と言い間違えたら、撮りなおしです、きっと。
今なら「バイクを乗り回すやんちゃなティーン」だけでなく、私のようなおばちゃんでも「事故った」と使います。
けれど、言葉が生まれるのは「背景(誰がどんなシーンで使うか)」「世相」が、キーのひとつになっているのかもしれません。
話がズレました…。
私がトシちゃん派だったこと、バレてないかしら…。
3、使われて価値が磨かれる
「事故った」の言葉のように、ふとしたタイミングで生まれることもあるし「コロナ禍」のように、もともとあった言葉(「○○禍」のような言葉)からできる言葉もあります。
新しく生まれる言葉も流行語に選ばれるものも、そう。
馴染んでいくのか、途中から意味が変わって育つのか、廃れていくのか…。生まれた言葉は、どう使われていくかがその後を左右しています。
日常のなかで使われてこそ価値が磨かれていく、とも言えそう。
「事故った」のように、状態を表すための「名詞」+「~た(る)」は、アレンジされてその後「神ってる」「タピる」と新たな意味も備えた言葉になっています。
これが、使われていったことで磨かれた新しい価値…なんでしょうね。オモシロイなぁ。
使われてこそ、の価値。
優れた言葉とは「広く使われる=イメージを共有できる」ことも、大切だと言えそうです。
4、「使えばいい」のではない
新しく生まれる言葉には、それぞれに背景や目的もあったでしょう。
また「このタイミングで使うのにちょうどいい!」という、似合うシーンも持っていると思います。
使うことで表現が広がるなら、活用していくと良さそうです。
ただ「新しい言葉だから」「使いやすいから」と、何も考えずに使うことのすべてがいいと、私は思いません。
(写真ACから)
例えば「コロナ禍」。
最初に書いたように、言いたいことを文字数を少なくしながら伝えられて、便利です。
けれど「禍」は災いや不幸なできごとを表すもの。
新型コロナウィルスの感染拡大は、個人の「罹患した、していない」だけでなく、医療や経済など影響は多岐にわたり、複雑さもあります。
一言で言い換えられる便利さはありますが、便利だからこそ、配慮が必要です。
見出しやタイトルでは、わかりやすさや、注意をひく目的もあるでしょうが、災い・不幸なできごとについて深堀りしないような浅さを漂わせてしまわないよう、気を付けたいところです。
5、前向きなワードの危うさ
ムズカシイですよね、言葉の使い方。
最近SNSで見る「コロナに負けない」というハッシュタグも、実は配慮が必要なワードです。
使っちゃいけないわけじゃないし、みんなで頑張ろうという思いがこめられたものなので、悪いわけじゃないんです。
「コロナ禍」と同じ。
悲しいできごと、不幸なできごとが起これば「自分とは違う立場の人」がいる、ということ。前向きなメッセージも、今は前を向けない…という人の目にも触れるかもしれませんよ、ということです。
震災など自然災害の発生時も「○○に負けない」というハッシュタグは生まれやすいとき。
どこへ向けて、どう発信するのか、何を感じ取ってほしいのか。
使いやすい言葉、短く言い換えられている言葉ほど、配慮が必要な場面がある、ということは知っておいたほうがよさそうです。